2009年06月19日

フィラデルフィア染色体(—せんしょくたい; Ph染色体)

フィラデルフィア染色体(—せんしょくたい; Ph染色体)とは、慢性骨髄性白血病および一部の急性リンパ性白血病に見られる染色体の異常。22番染色体と9番染色体間での転座によって、c-ablとbcrという遺伝子が融合し、異常な蛋白質を生じる。造血幹細胞を無制限に増殖させるようになる。以前は急性リンパ性白血病や急性期転化した慢性骨髄性白血病の強力な予後不良因子であった。

この染色体により作られる酵素(abl-bcrチロシンキナーゼ)の働きを特異的に抑える分子標的薬が開発された。グリベック(一般名イマチニブ)である。この薬は2001年に慢性骨髄性白血病の治療薬として承認、2007年1月に急性リンパ性白血病に対して追加承認された。また、グリベックに耐性をもつフィラデルフィア染色体陽性白血病に対して、新たにタシグナ(一般名ニロチニブ)が2009年1月に「グリベック抵抗性の慢性期又は移行期慢性骨髄性白血病」に対し承認を取得した。 スプリセル(一般名ダサチニブ、2006年7月米国で承認、2006年11月EUで承認)などが開発されている。 点突然変異 T315I に対しては MK-0457(VX-680)・Ceflatonin が臨床試験中である。
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薬剤耐性 [編集]
フィラデルフィア染色体がさらに点突然変異を起こし薬剤に耐性を持つことがある。その場合、薬剤の増量・変更あるいは造血幹細胞移植などを行う必要がある。特に急性期転化したCMLやPh+ALLでは耐性を持ちやすいので適用可能であれば造血幹細胞移植を選択することが多い。点突然変異は30種類ほどが知られているが、中でも T315I というタイプは発現頻度が高く、最も難治性である。

セカンドオピニオン [編集]
フィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病 (Ph+ALL) に関しては事実上標準的に使用されていた薬が承認されたことにより予後が大幅に改善されると思われる。しかしなお予後不良と診断された場合は、セカンド・オピニオンとして他の医療機関の医師の見解も聞くべきである。地域の癌拠点病院といえども最新の治療ができない場合があるからである。医療機関の選択の目安としては骨髄移植(造血幹細胞移植)の実施例の多い病院、あるいはJALSG(日本成人白血病治療共同研究グループ)標準に基づく治療を行っているという病院がよい。

2009年06月01日

水爆の構造は重要な軍事機密であるため

公式には一切公表されていないが、以下のようであろうと推測されている。
一端が丸い円筒形や回転楕円体をした弾殻内の丸い側や焦点に核分裂爆弾、つまり原子爆弾が置かれる。円筒部分か、もう一方の焦点には、外層に圧縮材としてのウラン238、中間層に主役の核融合物質としての重水素化リチウム、中心に更なる熱源としてのプルトニウム239よりなる3層の物質が置かれる。弾殻は放射線の反射材として機能させるために、ベリリウム、ウラン、タングステンなどが使用され、特にこの部分にウラン238やウラン235をぶ厚く使用したものが3F爆弾と呼ばれるさらに発生エネルギーを高めた核爆弾である。核融合部分と弾殻の間はスチレン重合体等が詰められる。

原子爆弾が起爆されると、その核反応により放出された強力なX線とガンマ線、中性子線が直接や弾殻の球面に反射してもう一方の核融合部分に照射される。照射されたX線は核融合物質周辺のスチレン重合体などを瞬時にプラズマ化させ、高温高圧となって円筒部の中心に位置する3層の核融合部分を圧縮する。ウラン238が推進効果で核融合物質としての重水素化リチウムを中心へ圧縮すると同時に中心軸のプルトニウム239がガンマ線と中性子線の照射を受ける。プルトニウム239が核分裂反応を起こすことで中心部からも重水素化リチウムを圧縮する。

超高温超高密度に圧縮された重水素化リチウムはやがてローソン条件を満たし、核融合反応を起こす。

核融合によって放たれた高速中性子がウラン合金製のタンパーに到達し、核分裂を開始させる。このプロセスを最後にケーシングは完全に消滅し、核爆発となる。通常水爆の核出力の大部分はこの核分裂のエネルギーによって得られる。
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核融合爆弾の主なエネルギー源となるのは重水素と三重水素である。重水素は自然界の水の中に5000分の1の割合で含まれており抽出が比較的容易であり、三重水素の原料となるリチウムも入手が容易である。水爆では、まず起爆薬としての原爆により高温高圧の環境を作り、中性子によるウランの反応も関与して、重水素とトリチウムの混合物の核融合を導くという2段階の方法をとる。この水素爆弾で使われる核融合物質は熱核材料と呼ばれる。

重水素と共に用いられるリチウムが、原爆から発生する中性子により三重水素に核種変化するので、重水素化リチウムを使用した水爆では三重水素は不要になる。リチウムの原子核に中性子を当てるとヘリウム4と三重水素の原子核が形成される。

原爆から発したX線は光速度で熱核材料に達して加熱圧縮するので、中性子の到達までに核融合が始まってしまってリチウムが三重水素に変化する時間がないのではないかという考えがある。加熱圧縮の材料に密度の極めて低いスチレン重合体を使う点に答えがあるかもしれない。あるいは、原爆からの中性子ではなく融合燃料の慣性圧縮から生じるD-D反応より生成した中性子を元にD-T反応が誘発するので、融合燃料の点火自体には三重水素は不要ではないかという意見もあり真相ははっきりしていない。

2009年04月29日

戦闘神になった背景

阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されている。しかし事実は少し違うといわれる。阿修羅はもともと天部の神であった。阿修羅が天部から追われて修羅界を形成したのには次のような逸話がある。

阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。

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阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また阿修羅には舎脂という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。

一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。

阿修羅を意訳すると「非天」というが、これは阿修羅の果報が優れて天部の神にも似ているが天には非ざるという意義から名づけられた。

2009年04月14日

ヤクブ・ベクの登場

1864年夏、カシュガルでもムスリムの蜂起が起き、キルギス人のシディク・ベクが回民の金相印と連携して王を称した。たが、蜂起は他の地域ほどには成功しなかった。シディク・ベクはイェンギサールを攻略することができなかったし、カシュガル城内も清の協力者であるクトルク・ベクに押さえられていた。1865年になると地域の制圧ができない状況に対し、キルギス人と回民はコーカンド・ハン国の支配者であるアリム・クリーに物心両面での援助を求めた。精神的な援助はブズルグ・ホージャによってもたらされた。彼はカシュガルの人々の宗教的な権威である白山党(アーファーキーヤ)のホージャであり、ジャハーンギール・ホージャの息子、ワリー・ハンの弟であった。物質的な支援としてヤクブ・ベクがコーカンド・ハン国の兵とともに派遣された。

シディク・ベクと配下のキルギス人は既にカシュガルのムスリム地区を確保していたが、ブズルク・ホージャとヤクブ・ベクが到着するとクーデターによりその支配は打ち砕かれた。3月にシディク・ベクは7千の兵でカシュガルを襲撃したが、ヤクブ・ベクはわずか百名の騎兵で夜襲をかけて撃退した。シディク・ベクの勢力を傘下に収めて勢力を拡大し、4月11日にイェンギサールを陥落させ、さらにシディク・ベクの残党を東トルキスタンから放逐した。

こうしてイェット・シェヘル・ハン国が成立した。4月下旬、ヤルカンドを攻撃したが失敗し、引き返す途中にクチャのラシッディーン・ホージャの軍に遭遇し大敗した。ヤクブ・ベクは軍を整え、清軍が守るカシュガル漢城を攻撃した。9月1日、カシュガル弁事大臣の奎英は自殺し、守備の何歩雲は投降し、投降した者はイスラム教への改宗を余儀なくされた。また1865年5月、タシケントに攻め込んできたロシア軍との戦いでアリム・クリーは命を落とし、9月までに約7千の兵が国境を越えてカシュガルに逃れヤクブ・ベクに合流した。それによって勢力が増大したヤクブ・ベクはカシュガルとホータンを占領した。この時ブズルク・ホージャはヤクブ・ベクを排除しようとしたが、逆にヤクブ・ベクに追放されてしまった。さらにヤクブ・ベクはラシッディーン・ホージャの勢力を打ち破り、アクスを占領し、クチャ以外の天山南路を支配下に置いた。

1867年、ヤクブ・ベクはイェット・シェヘル・ハン国を廃止し、バダウレト・ハンと名乗って名実ともに支配者となり、5月にはクチャとコルラを征服して天山南路を統一し、シャリーアに基づく統治を開始した。ブハラ・ハン国はアタリク・ガジ(信仰の守護者)の称号を与えた。1868年、イギリスが特使を派遣してヤクブ・ベク政権を承認した。こうしてヤクブ・ベクはイギリスから武器を供給を受けることができるようになった。イギリスとしては東トルキスタンをロシアとインドとの緩衝地帯にしようとしたのである。1870年、ロシアもヤクブ・ベク政権を承認した。

1870年には装備を整えたヤクブ・ベク軍はトゥルファンを攻略して東トルキスタン北部と河西回廊の連絡を断ち、白彦虎率いる陝西省・甘粛省の回民蜂起軍の残党を吸収して、勢力を増していった。1871年末までに妥得璘軍を破ってウルムチ・マナス・ピチャンを占領した。そのため同年にはロシアがイリ地方への進駐に踏み切った。

ヤクブ・ベク政権とロシアの関係は良好で、1972年には条約を締結して貿易を開始した。1974年にはイギリスとも類似の条約を結んで、大使を交換している。さらにオスマン帝国のスルタンのアブデュルアズィズからアミールに封ぜられ、軍事教官の派遣を受けた

清朝の反応
1872年7月、清朝の内部では依然としてヤクブ・ベクの対応について争議がなされていた。主戦派である左宗棠は“事は国の大事および外国との関係にかかわり、適当にではなく徹底的に解決する必要がある”と主張し受け入られ、兵を率いて蘭州に進駐し新疆(東トルキスタン)討伐への準備を開始した。

左宗棠は戦略的な準備工作を丹念に行い、「緩進急戦」と呼ばれる戦略をとった。「緩進」とは1年半の時間かけて屯田を行い兵糧を蓄え、また同時に軍の整頓を行うことで、西征の参加を躊躇する者は給料支給の上で本籍へ送還され、志願兵のみが残りその結果士気が高い精鋭軍ができ上がった。「急戦」とは当時貧しい国庫の状態を考慮し、戦闘が開始次第に速戦即決を努め1年半以内の時間で全勝を収める作戦である。左宗棠は軍費を白銀8百万両程度と見積もったが、余裕を持たせ朝廷に1千万両を求めた。当時の財政大臣であった沈葆楨は地方からこの費用を集めようとしたが、これでは時間がかかる上に全額集まるどうかも怪しいのは目に見えていた。しかし軍機大臣の文祥が同治帝及び摂政である西太后に陳情し、皇帝の支持を受け国庫から5百万両が捻出され、また諸外国から5百万両を借款する承認を賜り、1千万両の軍資金を賄うことができた。

また、大英帝国及びロシア帝国から新式の武器の供給を受けていたヤクブ・ベク軍に対抗するため、左宗棠は蘭州に武器製造廠である「蘭州製造局」を設立した。彼は広州や浙江から武器製造のエキスパートや職人を招き、外国の技術を取り入れ新式の武器の製造に成功した。それと同時に、左宗棠は蘭州に「甘粛紡織総局」を設立した、これは中国における最初の機械的な紡織工場である。

1875年、新疆出兵に対し朝廷内でまた争議が発生した、「海防派」と「陸防派」の論争である。李鴻章に代表される「海防派」は新疆を放棄し、資金を海防に回すことを主張し、彼は乾隆帝の新疆平定から百数十年あまりの間、統治維持のために毎年数百万両の白銀が費やされていることを指摘し、国庫を空にして西征を行うよりもイギリス人の条件をのみ、ヤクブ・ベクの独立を認め朝貢させればよいと主張した。一方「陸防派」である左宗棠は、新疆を失えばかの地は必然的にイギリスかロシアの影響下に入り、中国は西北部の防御の要を失いかえってもっと多くの兵力を西北防御に費やすことになり、また新疆を失えば国威が衰え、民心を失い、諸外国はつけあがるゆえかえって海防に支障をきたすことになるだろうと主張した。結果、左宗棠と同様な見解を持っていた軍機大臣文祥の支持もあり、光緒帝及び摂政西太后は左宗棠に同意した。左宗棠は欽差大臣に任命され、金順を副将に、新疆討伐が決まった。

北部での戦い
1876年4月の出兵時には、先鋒部隊を率いる張曜にクムルで糧食を集めさせていた。左宗棠の指揮する軍として劉錦棠の湘軍25営、張曜軍14営、徐占彪の蜀軍5営があり、これに東トルキスタンの各拠点の清軍を併せることで、歩兵・騎兵・砲兵合わせて150営、総数8万人となった。左宗棠は粛州(現在の酒泉)にいて、劉錦棠と金順に二手に分かれるように命じた。劉錦棠は北路を行き、金順は南路を行き、クムルで合流することとなった。劉錦棠軍が先にクムルに入り、ウルムチ近郊のジムサルを占領した。

ヤクブ・ベクは清軍の進攻を聞き、馬人得・馬明・白彦虎らをウルムチなど東トルキスタンの要地に配備した。主力の2万人はトゥルファンとトクスンにあり、ヤクブ・ベクはトクスンで督戦に当たった。

8月上旬、劉錦棠軍と金順軍はウルムチの北の要地の米泉を包囲した。17日、大砲で城壁を破壊した後、城内に入り、数日の激戦の後に制圧した。そしてそのまま勝ちに乗じてウルムチを占拠した。ヤクブ・ベク軍の白彦虎はトクスンに逃れた。金順はそのまま西進したが、サンジ・シャヒリとフトビとマナス北城の守備兵は戦わずして退却した。金順はマナス南城を攻めたが落とすことができなかったため、劉錦棠とイリ将軍栄全の援軍が到着した。その結果、11月6日に陥落させ、東路と天山北路は清朝の支配下に入った。

南部での戦い
1877年4月14日、清軍は数ヶ月の休息の後、天山南路に向けて進軍を開始した。劉錦棠軍はウルムチを南下し、16日には達坂城を包囲した。18日に城外に砲台を築き、翌日から攻撃を開始した。ヤクブ・ベク軍は突破を図ったが失敗し、投降した。

同時に張曜軍と徐占彪軍がトゥルファンに迫った。4月26日、劉錦棠軍はトクスンを占領した。ヤクブ・ベクはカラシャールに逃れ、子にコルラを守らせた。その後、張曜軍と徐占彪軍は羅長祐の湘軍と協力してトゥルファンを陥れた。この時、天山南路ではヤクブ・ベクの統治への不満が増大しており、ヤクブ・ベクは大勢は去ったとして自殺した。もっとも毒殺されたとの説もある。ヤクブ・ベクの死後は白彦虎とヤクブ・ベクの長子のベク・クーリ・ベクが抵抗を継続した。

この時、李鴻章らの働きかけで、軍費がかかるので兵を休めさせよとの勅令が下ったが、左宗棠は戦争の継続を説いた。西太后は左宗棠の論に納得し、戦争は継続されることとなった。またこの頃露土戦争が発生しており、金順はこの機に乗じてイリ地方を奪取すべきと提案したが、左宗棠の採るところとはならなかった。

9月、清軍は西進を開始し、カラシャールとコルラの守備兵は戦わずにクチャに退いた。10月18日、劉錦棠軍はクチャを攻略し、白彦虎は西に逃れた。24日にはアクスを、26日にはウシュトゥルファンを占領し、東の4城を手中におさめた。さらに西のヤルカンド、イェンギサール、ホータン、カシュガルの守備軍も恐れて内部から崩壊を始めた。ヤクブ・ベク軍に降伏していた前カシュガル守備の何歩雲は機に乗じて、満州人と漢人数百人を率いて漢人居住地区を占拠した。劉錦棠はこれを聞いて前進を始め、12月下旬までに西の4城を陥落させた。ベク・クーリ・ベクと白彦虎はロシアに逃れた。この時に白彦虎に従った回民の子孫が現在のドンガン人である。戦闘は終結し、山中のキルギス族も清軍に服属した。こうしてイリを除く東トルキスタンは再び清の征服するところとなった。

イリ条約 [編集]
イリ地方は、1871年以来ロシアの支配下にあり、その帰属が問題となっていた。1880年、左宗棠は新疆省の設置とイリ返還の交渉を提議した。提案は採用され、崇厚を全権大使としてロシアに派遣した。ロシアはイリ地方の割譲と賠償金の支払いと通商を要求し、崇厚この要求を受諾した。左宗棠はこれに反対し、西太后は崇厚を罪に問うた。代わって曽紀沢がロシアに派遣されたが、左宗棠はイリ方面に兵を動かしロシアに圧力をかけた。ロシアは露土戦争の直後ということで戦争は避けたいというのが本音であったため、妥協することとなった。こうしてイリ条約が結ばれ、清はイリ地方の一部を回復し、賠償金も減額された。

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2009年03月30日

バケツ(英語bucket)

バケツ(英語bucket)とは、液体などの運搬に使われる、取っ手の付いた容器のことである。その多くは上部が開放された円筒形の形状で、蓋のあるものと無いものがある。用途に応じて様々な大きさ、形、材質などの製品がある。

当て字として馬穴と書かれることがある。
きたみびお 浮草ぐらし ウェッジ ビーピー ツベル タイマー ビヤマハギ フロマ シケイン フリーラジ マスタ わかくさ ハイネッ パラ プロテス ロンネット ソリテー マンス スライド バヌア マート びばい フレアスカ ドトイ ラッシュ ライム ワインバ ナポリタン インゴット リッピン ウェル バター ドグマ とうりゅう スロット モラリ トレジャ フラッシ ヒマワ チャロ ムック テスト パネラー ダース サイト ジャッジ エタイ マッピング 露の契 フェージュ

液体などの運搬
ゴミの保管
水生生物などの採集
生花などの保存
食品の保存、運搬、調理(蓋付きのバケツを使う)
稲作など、植木鉢やプランターの代用
昔の小学校では教育的指導として、バケツに水を満たして、廊下に立たせた。(今では体罰となる)

材質 [編集]
プラスチック(ポリプロピレン、ポリカーボネート)
ポリバケツと呼ばれる(普通名称化した商標一覧を参照)
金属(トタン、ステンレス)
液体を扱う場合には、ブリキは使えない。

バケツに関する表現 [編集]
非常に強い雨を『バケツをひっくり返したような雨』と呼ぶことがある。
バケツリレーとは、人が列を成して並び、水などの入ったバケツを隣の人に順番に受け渡すことで輸送する方法である。一人がバケツを持って直接運ぶよりも効率が良いとされるので、火災の消火などの際に行われる。
バケツパフェは非常に大きなパフェ。実際にバケツに盛られることもある。同様にして、バケツプリンも存在する。

その他 [編集]
1999年9月30日に起きた東海村JCO臨界事故では、危険な放射性物質である粉末ウラン化合物を溶解する工程を、正規の手順ではないバケツを用いた手作業で行っていたことが問題となった。

2009年03月15日

1550年代になってモスクワ防衛のため同市

1550年代になってモスクワ防衛のため同市の周囲には城塞都市が建設されたが、同様に修道院にも北東からの侵入に備え、周囲に12基の塔を備える1.5キロメートルの石壁が作られていった。1608年から1610年にかけてポーランド・リトアニア連合によって行われた16ヶ月に及ぶトローイッツェ・セールギエフ大修道院の包囲戦 Siege of Troitse-Sergiyeva Lavraにも耐え抜いた。大聖堂門の漏斗孔は、1618年のヴワディスワフ4世による包囲戦を退けたことを記念して保存された。こうしてトローイッツェ・セルギエフ修道院は、ロシアにとって愛国心や不撓不屈の精神力の代名詞とも言うべき存在になっていった。歴代皇帝は、戦いの前後に修道院に赴き、聖セルギーのイコンを手に戦場へと馳せるようになった。

17世紀末まで、若きピョートル大帝が政敵から2度に渡り修道院に逃れるなどしたこともあり、皇帝や皇后、高位高官を迎えるための多数の施設が建設された。その中には皇帝のための迎賓館、御成御殿ともいうべきバロック様式の皇帝宮殿がある。聖セルギーの食堂(トラーベズナヤ)は中央に柱などの支えが無い、ロシア最大規模510平方メートルを室内空間であった。5つのドームを擁する門上プレッテンチェースカヤ教会(バプテスマのヨハネ降誕教会)は、1693年から1699年にかけて、ストロガノフ家の寄付によって建設された。その他、17世紀の建築物としては、修道士の居室、ゾシマ・サヴァティー教会を頂く病院などがある。なお、教会建立の際、神聖と見なされる井戸が覆われてしまったが、後に1644年発見された。

1744年女帝エリザヴェータ・ペトローヴナによってトローイッツェ・セルギエフ修道院は、ラヴラ(大修道院)の格を与えられた。以後、大修道院長は、モスクワ府主教も兼務するようになる。エリザヴェータ自身もしばしば修道院に行幸したが、こうした女帝の行幸には、女帝と秘密結婚をしたとの噂もあった寵臣アレクセイ・ラズモフスキー Alexey Razumovsky伯爵も同道した。ラズモフスキー伯は、スモレンスクにある聖マリア教会の管理も行っていたが、この教会は最後に大修道院の格を得た教会であり、エリザヴェータお気に入りのもう一つの教会であった。イワン・ミチューリンIvan Michurinとドミトリー・ウフトムスキーDmitry Ukhtomsky. 設計による高さ88メートルの白と青のバロック式鐘楼は、当時としてはロシア一の高層建築であった。
リーベ フラッ ザイル クチン セドラ タコメ ブラウ レット シスプ じゃくやく ラップワピ デリバリ ツワブキ フリーダム ソート ナビタイア メンマ タルト ガネット スニファー オート スコア えーびー ちょうい たんし ニヒル モップ 国内チュ ティーン ギャレー 幻のユウ ブイゾ シールド パサー タジン ダウンライト コスル ナポリ ヒモパン ジューシー ショー ポニカ いーん リターン パリー トライア バスー 山菜サーチ ヴェリ ローズ

ロシア正教会の中心的大修道院として [編集]
1764年女帝エカテリーナ2世により、ロシア国内の修道院が所有する領地と農奴は、国家の所有となった。この改革により、修道院が保持していた政治的、経済的権力基盤は堀崩され、国家による一元支配が貫徹されることとなった。もっとも、19世紀を通して、至聖三者セルギー・ラヴラ(トローイツェ・セールギエフ大修道院)は、ロシア正教の修道院中、最も豊かな地位を保った。エカテリーナ2世の聴悔司祭プラトンは、大修道院院長であったということで特別な配慮がなされたことも影響した。さらに大修道院は、ロシア正教会の一大宗教センターとして発展を遂げた。1742年に設立された神学校は、1814年に教会アカデミーecclesiastical academyに改組された。大修道院は写本と正教関係の書籍の一大コレクションを誇った。大修道院が所有する中世の聖具室sacristyは、たくさんの訪問客が訪れた。セルギエフ・ポサドの市内には、大修道院の他にも、いくつか小さな修道院が建立され、その中には哲学者のコンスタンチン・レオンチェフKonstantin Leontievやヴァシリー・ロザノフVasily Rozanovなどが埋葬されている。

2009年02月26日

トランシーバー、緊急時のバードスクランブル

プレスレット
忍者隊員が腕にしている。トランシーバー、緊急時のバードスクランブルなどの機能の外、各人の「バード・ゴー!」という声紋に反応して3,600フルメガヘルツという高周波を発し、各人が普段着ている服をバードスタイルに変化させ、同時に偽装したG-1 - 4号のメカを本来の忍者隊仕様に変化させる。バードスタイルに変身するために普段着る服は特殊加工をしているらしく、メンバーは胸に1から5の字をあしらったTシャツにベルボトム調(ジュンと甚平はストライプ調)のパンツ、決まった靴の姿でしか描かれていない。これは後のシリーズでも同様だが、デザインは各シリーズで異なっている。因みに「II」では、Tシャツの数字が小さくなり、ボトムは時代を反映してか、スリムジーンズになっていた(「II」ではジュンと甚平もボトムはストライプカラーからそれぞれ白とブルーの単色になった)。物語途中でジュンのブーツが脱げてギャラクターに確保され、変身の秘密が暴かれたりもしている。
なお、変身中、ブレスレットを外しただけでは変身は解けないが、壊れた時には変身は解けてしまう。
科学忍者隊の変身のメカニズムについて柳田理科雄の『空想科学読本』では「服やヘルメットが圧縮されてブレスレットに収納されている」、「ブレスレットが高密度になって異常に重くなり、白鳥のジュンも片腕だけ必要以上に鍛えられてしまう」とあり、ガッチャマン関連のホームページでは「某『科学読本』で書いていることは嘘だ」と断言しているものもある(密度が高くなっても、質量、重量が増えるわけでは無い)。
ゴッドフェニックス
G-1号機からG-5号機の5台のマシンが合体した大型偵察・攻撃機。メインのパイロットは、留守番役を兼ねることが多い竜。コクピットは機体のほぼ中央、ドーム部の下にあり、キャノピーは無く専らモニター画像を頼りに飛行・航行する。武器は機体上面に内蔵された連装式のバードミサイル。67話から機体下面に超バードミサイルを二発、追加装備した。最高速度は飛行時マッハ5・水中潜航時40ノット。必殺技は、高速飛行することで大気との摩擦熱により「炎を纏った鳥」の状態となって、敵メカ鉄獣の胴を体当たりで撃ち抜く「科学忍法・火の鳥」だが、これは必殺の技であると同時に空中分解の危険性も孕んだ諸刃の剣である(火の鳥の際には、全ての座席は対Gなどのために前向きになる)。バリエーション技として、火の鳥を発動させた後、各Gメカの合体を解除し、各機が炎に包まれた状態で体当たりを行う、「火の鳥・影分身」がある。なお、火の鳥をはじめとするゴッドフェニックスの武装は、G-1 - 4号までの全てがG-5号と合体しないと使えないのだが、一機不在の機体があった時(G-1・2号が合体していないと外見が変わるため、ベルク・カッツェからそのことを聞いていた敵隊長に、機体が足らないことを見破られてしまいピンチだった)にジュンのヨーヨーで結線して無理矢理にバードミサイルを放ったことがある。
当初、忍者隊はギャラクターの本部発見が最優先事項とされており、任務中の積極的な戦闘は厳しく禁じられていた。そのためバードミサイルの発射スイッチにはカバーが取り付けられ、発射するにはゴッドフェニックスに5人とも搭乗している状態で、かつ南部博士の許可が必要だった。しかしギャラクターの破壊活動は次第に激しさを増し、攻撃開始の判断が遅れることで生じる都市への被害や忍者隊自体の危険も大きくなっていったため、まもなく忍者隊の独断で(博士には事後承諾とする)攻撃を行えるようになった(発射ボタンを無理矢理に押すのは専らジョーの役だが、普段は止め役の健もたまにやっている)。だがその後もギャラクターの鉄獣メカは強力化し続け、ゴッドフェニックスが撃墜されることも度々起きるようになってきた。そして67話『必殺! ガッチャマンファイヤー』ではついにゴッドフェニックスが炎上・大破してしまう。この時の大規模な修復作業の際、ゴッドフェニックスと各Gメカに武装の追加・装甲強化が行われた。
このように、「正義の味方」が操る機械物としては意外にも「弱い」部類に入る。シンプルなデザインで、無敵の強さを持っているわけでもないが、メンバーの勇気と機転で数々のピンチを乗り越え、「科学忍者隊の相棒」という言葉が最も似合う、独特の存在感を放つ人気の高いメカである。
なお、続編「ガッチャマンII」ではニューゴッドフェニックスに役目を譲って引退し、南部博士の別荘に保管されていたが、第47話『必殺!二羽の火の鳥』ではパンドラ博士の操縦で再度登場、新旧ゴッドフェニックスによるダブル火の鳥を披露している。
G-1号機
単座の可変翼ジェット機(翼の稼動は専らゴッドフェニックスへの合体時のみ)。大鷲の健が搭乗。最高速度はマッハ4。普段は健の自家用セスナの姿に偽装しているが、健がガッチャマンに変身すると共にG-1号に変身する。ゴッドフェニックスの尾部に合体し、垂直尾翼・副エンジンを兼ねる。当初は固定武装がなく、専らカメラなどで空からギャラクター基地を探すのが主任務だったが、67話から操縦席の後ろにガッチャマンファイヤーという連装熱線砲を内蔵し、戦闘機として機能するようになった。なお実際には活かされなかったが、設定上は潜行もできる。
G-2号機
レースカー型の高速マシン。コンドルのジョーが搭乗。最高時速1000km。フォーミュラカー状の車体だが、フロントウィングに相当する箇所にはライトが装備されている。普段はジョーの自家用レーシング車(ガスタービンエンジン搭載。市販車改造タイプ)の姿に偽装しており、ゴッドフェニックスの機首部に収納される。先頭部に様々な機材を取り付けることができ、ゴッドフェニックスに合体した状態で使用されることもある。空は飛べない上に水中や水上では使えず(本来は、フォーミュラカー状のマシンにこういうシチュエーション下での運用を求めること自体が酷な話なのだが)、雪山を走るにもG-3号とは違い特殊仕様が必要、と、4機の中では意外にも一番活動範囲が狭い。他の機体と同様に、当初はギャラクター隊員を跳ね飛ばすしか闘う術がなかったが、67話から先頭部にコンドルマシンというガトリング砲を内蔵。各Gマシンの追加武装の中では印象が非常に強い。
余談だが、他の機体は作品によって違いがあるものの、G-1号が飛行機、G-2号がフォーミュラカー状のマシン、という点だけはシリーズ作全てで共通している。
G-3号機
オートバイ型マシン。白鳥のジュンが搭乗。最高時速700km・水上最高時速200km。普段は大型バイク(ガスタービンエンジン搭載)の姿に偽装しておりゴッドフェニックスの左翼端部に収納される。空こそ飛べないが(空中でゴッドフェニックスから切り離し、着地した例はある)オープニングに見られる要に水上を走ったり、劇中では雪山を走ったりと、二輪車としては驚異的な運動性能を見せている。67話からはジュンロケットという連装ロケットランチャーを装備した。なお、このジュンロケットは車体から外し、単体で射撃することが可能。
G-4号機
水陸両用装甲車。ヘリコバギーとも呼ばれる。燕の甚平が搭乗。最高時速200km。普段はバギーに偽装している。ゴッドフェニックスの右翼端部に収納される。装甲車だが偏向式ジェットを装備しており飛行も可能。陸空だけでなく水上、水中や、場合によっては地中での活動もこなす万能ぶり。口状の部分からドリルや回転ノコギリなど様々な機材や武器を繰り出す、何が出てくるか分からない「玉手箱メカ(当時の企画書より)」である。なお、この口状の箇所はそのまま乗降口も兼ねている。67話より甚平爆弾を装備したが、前述の通り武装強化以前から武装を出していたので、他の機体の追加武装ほどは目立たなかった。
陣取り いなか ストメ ワイス さんぼんぎ アント システイン キーホ ワッシャ ネゴシ メモワ パフェ トーキング マラニッ 筆柿 キーノ テレコズ マヨラ プライ ドアミラ リンクサデ ポート エコロジジー エバー ナフタ レポート エス スキトル オーピー マドラサ スパニ パウダー フィル 夏の稲妻 シグサ ツバル タンゼロ ラスバンド アウトカム 黒い塔 ブルンジ ピエール オーバ タリフ ミンス シェルカ スパラ ヌードル モノクロ ミーシー

G-5号機
大型のホバー輸送機。みみずくの竜が搭乗。他の機体のように偽装機能は無く、普段は竜の家のそばにある漁港の海底に隠されている。G-5号自体がほぼゴッドフェニックスの本体そのものなのだが、他の4機を合体させ、回路が繋がっていないと全く本来の性能は発揮できず、火の鳥はもちろん、バードミサイルの発射すらできない。忍者隊の前線基地として機能する最も重要なパーツであり、また単体では戦闘に余り向かない(他の4機は武装が強化されたが、G-5号時に武装が使えないのは変わらなかった)ため後方で待機させられていることが多く、竜はよく不満を漏らしていた(ただし竜が留守番役となっているのは、家族が健在である竜になるべく任務中の危険が少なくなるよう南部博士が配慮したからである)。
鉄獣メカ
ギャラクターの作戦に用いられる巨大なメカの総称。なお当初は「怪獣ロボット」後に「怪獣メカ」と呼ばれ、本作ではサブタイトルに使われることはあるものの、本編では90話で「メカ鉄獣」と呼ばれたのみである。「ガッチャマンII」以降では、本編中および主題歌(「ガッチャマンF」ED「ぼくらのガッチャマン」)に、この語が用いられた。形状は、爬虫類・魚類や昆虫類・甲殻類などの無脊椎動物などの動物をかたどったものが多いが、そうでないものもあり後の「ヤッターマン」などなどに登場しそうな用具類などの寄集め的なデザインのものも一部出てきた。
どうしても他のロボット物の敵役のようなやられ役と思われがちだが、元々忍者隊が戦闘を目的とした隊ではない、という基本設定があるとはいえ、一度はゴッドフェニックスを撃退した機体も少なくはない。第一話での、雨をバックに登場した鉄獣メカタートルキングの格好よさは語り草にもなっている。
余談だが、鉄獣メカを手がけた人物の一人として劇中にオガワラー博士なる、大河原邦男に因んだキャラクターが登場し、「私が折角いいメカを作っても、あなたがめちゃくちゃに…」という趣旨で、ベルク・カッツェに毒ついたシーンが描かれてもいる。なお、番組中にはナカモーラというオガワラーの助手も登場している。こちらも番組のメカデザインを手がけた中村光毅が名前のモデル。

2009年02月09日

古事記(こじき、ふることふみ)

古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された日本最古の歴史書。上・中・下の全3巻に分かれる。

成立の経緯を記している序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものとされている。
ミネア あさひか ストレ マッチ アック 繊細 せいじゅ パワーサプ ランドロ ステイ ヒート メキシコ エグゼ べにあか センリョウ アーバン オーバ ロッキード やっこだこ パターン カピバラ アフガン サーボモ メリー 望郷の月 じゅご リンガ モルデ パトス キャンサド ティン デジタル ネクスト ノーショー コンファー ビオチ クレーション フィーマ カーラジオ バビア ナビノニ やまんば デーゲーム 世界の家 ブービー ドゥク サイダ ジャージー ベンダー フレーター

『古事記』の書名は、もともと固有名詞ではなく古い書物を示す一般名であり正式名ではないと言われている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。

『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天武天皇が

撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ

と詔していることから、勅撰と考えることも出来る。

『古事記』に登場する神々が、多くの神社で祭神として祀られ、今日に至るまで日本の宗教文化に多大な影響を与えている。

構成
『古事記』は、帝紀的部分と旧辞的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃・皇子・皇女の名、およびその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、およびその治世の大事な出来事などについて記している。これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して、天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。それが6世紀半ばになると文字によって書き表わされた。『旧辞』は宮廷内の物語、天皇家や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。

『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらをもとにして作成されたものである以上、民族に伝わった歴史の伝承ではないとの主張もある。一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に上巻部分は、それらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。

構成は、上つ巻(序・神話)
中つ巻(初代から十五代天皇まで)
下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)
の3巻より成っている。内容は、神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説等を含む)を収録している。また数多くの歌謡を含んでいる。なお、日本神話での「高天原」という用語が多用される文書は、「祝詞」以外では『古事記』のみである。

表記
本文はいわゆる変体漢文を主体としつつも、古語や固有名詞のように漢文では代用しづらい微妙な部分は一字一音表記で記すという表記スタイルを取っている。一字一音表記の箇所には、まれに右傍に「上」「去」のように漢語の声調を表わす文字を配して、当該語のアクセントを示すこともある。いずれも、いかに正確にかつ効率よく記述するかで悩んでいた(序文参照)編者・太安万侶の涙ぐましいまでの苦心の跡である。歌謡部分はすべて一字一音表記で記されており、本文の一字一音表記部分を含めて、上代特殊仮名遣の研究に欠かせないものとなっている。

上代特殊仮名遣の「モ」の書き分けは『古事記』のみに見られるものである[1]。

改竄説
『古事記』本文の記述以外には編纂の記録が直接は見当たらず、最古の写本も南北朝時代のもの(#写本を参照)であるため、それより以前の姿をそのままにとどめているかどうかに疑義を抱く改竄説も出されているが、考古学的反証も主張されている(#『古事記』偽書説も参照)。

『古事記』の研究
『古事記』の研究は、近世以降とくに盛んにおこなわれてきた。江戸時代の本居宣長による全44巻の浩瀚な註釈書『古事記伝』は『古事記』研究の古典であり、厳密かつ実証的な校訂は後世に大きな影響を与えている。宣長の打ち出した国学による「もののあはれを知る」合理研究は、漢式の構造的な論理では救済不能な日本固有の共感による心情の浄化プロセスの追及であった。しかし「からごころ」排撃は、のちに国粋主義的皇国史観、神話の絶対化に変容されたとの見方もある。

第二次世界大戦後は、倉野憲司や西郷信綱、西宮一民、神野志隆光らによる研究や注釈書が発表された。とくに倉野憲司による岩波文庫版は、1963年の初版刊行以来、通算で約100万部に達するロングセラーとなっているが、それ以前に出された「古事記伝」の記述からすると恣意的な注釈があるとの主張もある。

20世紀後半より、『古事記』の研究はそれまでの成立論から作品論へとシフトしている。成立論の代表としては、津田左右吉や石母田正があり、作品論の代表としては吉井巌・西郷信綱・神野志隆光がいる。殊に神野志の『古事記の達成』は、それまでの研究史を革新したといってよい。

『古事記』偽書説
『古事記』には、近世以降、偽書の疑いを持つ者があった。賀茂真淵(宣長宛書翰)や沼田順義・中沢見明・筏勲・松本雅明・大和岩雄・大島隼人らは、『古事記』の成立が公の史書に記されていないことなどの疑問点を提示し、偽書説を唱えている。

偽書説には大体二通りあり、序文のみが偽書であるとする説と、本文も偽書であるとする説に分かれる。概要を以下に記す。

序文偽書説では、『古事記』の序文(上表文)において『古事記』の成立事情が語られているが、それを証する外部の有力な証拠がないことなどをもって序文の正当性に疑義を指摘し、偽書の可能性を指摘している。
本文偽書説では、『古事記』の神話には『日本書紀』より新しい神話の内容を含んでいるとして、より時代の下る平安時代初期ころの創作、あるいは岡田英弘のように伊勢国の国学者本居宣長によって改作されたものであるとする。
しかし偽書説は、上代文学界・歴史学界には受け入れられていない。上代特殊仮名遣のなかでも、『万葉集』・『日本書紀』の中ではすでに消失している2種類の「モ」の表記上の区別[2]が、『古事記』には残存しているからである。これは偽書説を否定する重要な論拠である[3][4]。

なお、序文偽書説の論拠の一つに、『古事記』以外の史書(『続日本紀』『弘仁私記』『日本紀竟宴和歌』など)では「太安麻呂」と書かれているのに、『古事記』序文のみ「太安萬侶」という異なる漢字表記になっているというものがあった。ところが、1979年1月に奈良市此瀬(このせ)町より太安万侶の墓誌銘が出土し、そこに

左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳[5]

とあったことが判明し、漢字表記の異同という論拠に関しては否定されることとなった。

内容
序を併せたり
撰者である太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)が、天子に奏上する形式に倣って記した序文である。

序第1段 稽古照今(古を稽へて、今に照らす)
ここでは天地開闢からはじまる『古事記』の内容の要点を挙げ、さらにそれぞれの御代の事跡は異なるがほぼ政治に誤りはなかった、と述べている。
臣安萬侶言す。それ、混元既に凝りて、気象未だ效(あらは)れず。名もなく為も無し。誰れかその形を知らむ。…(臣安萬侶言 夫混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形)
…歩驟(ほしう)各異(おのおのこと)に、文質同じくあらずと雖も、古を稽(かむが)へて風猷を既に頽れたるに縄(ただ)し、今に照らして典教を絶えむとするに補はずといふことなし。(雖歩驟各異 文質不同 莫不稽古以繩風猷於既頽 照今以補典敎於欲絶)
序第2段 『古事記』撰録の発端
ここではまず、天武天皇の事跡を厳かに述べた後、天武天皇が稗田阿禮に勅語して『帝記』・『旧辞』を暗誦させたが、時世の移り変わりにより文章に残せなかった経緯を記している。
…ここに天皇(天武)詔(の)りたまひしく「朕(われ)聞きたまへらく、『諸家のもたる帝紀および本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふ。』といへり。今の時に当たりて、其の失(あやまり)を改めずは、未だ幾年をも経ずしてその旨滅びなんとす。これすなはち、邦家の経緯、王化の鴻基なり。故これ、帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実(まこと)を定めて、後葉(のちのち)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。」とのりたまひき。時に舎人(とねり)ありき。姓(うぢ)は稗田(ひえだ)、名は阿禮(あれ)、年はこれ二八。人と為り聡明にして、耳に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に拂(ふ)るれば心に勒(しる)しき。すなはち、阿禮に勅語して帝皇日継(すめらみことのひつぎ)及び先代旧辞(さきつよのふること)を誦み習はしめたまひき。…(於是天皇詔之 朕聞諸家之所 帝紀及本辭 既違正實 多加虚僞 當今之時 不改其失 未經幾年 其旨欲滅 斯乃邦家經緯 王化之鴻基焉 故惟撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉 時有舍人 姓稗田名阿禮 年是廿八 爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心 即勅語阿禮 令誦習帝皇日繼 及先代舊辭)
序第3段 『古事記』の成立
ここでは、元明天皇の世となって安万侶に詔が下り、稗田阿禮の暗誦を撰録した経緯を述べ、最後に内容の区分について記している。経緯では、言葉を文字に置き換えるのに非常に苦労した旨が具体的に記されている。
…ここに、旧辞の誤りたがへるを惜しみ、先紀の謬り錯(まじ)れるを正さむとして、和銅四年九月十八日をもちて、臣安麻呂に詔りして、阿禮阿禮の誦む所の勅語の旧辞を撰録して献上せしむるといへれば、謹みて詔旨(おほみこと)の随(まにま)に、子細に採りひろひぬ。然れども、上古の時、言意(ことばこころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難し。…(於焉惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 撰録稗田阿禮所誦之勅語舊辭 以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭然、上古之時 言意並朴 敷文構句 於字即難)
…大抵記す所は、天地開闢より始めて、小治田(をはりだ)の御世に訖(をは)る。故、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)以下、日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)以前を上巻となし、神倭伊波禮毘古天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)以下、品蛇御世(ほむだのみよ)以前を中巻となし、大雀皇帝(おほさぎのみかど)以下、小治田大宮(をはりだのおほみや)以前を下巻となし、併せて三巻を録して、謹みて献上る。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。(大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世 故天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷 神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷 大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷 并録三卷 謹以獻上 臣安萬侶 誠惶誠恐頓首頓首)
和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安萬侶

上巻(かみつまき)
天地開闢から日本列島の形成と国土の整備が語られ、天孫が降臨し山幸彦までの神代の話を記す。いわゆる「日本神話」である。

天地開闢とともに様々な神が生まれたとあり、その最後にイザナギ、イザナミが生まれた。二神は高天原(天)から葦原中津国(地上世界)に降り、結婚して結ばれ、その子として、大八島国を産み、ついで山の神、海の神などアニミズム的な様々な神を産んだ。こうした国産みの途中、イザナミは火の神を産んだため、火傷を負い死んでしまった。そのなきがらは出雲と伯耆の堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた。イザナギはイザナミを恋しがり、黄泉の国(死者の世界)を訪れ連れ戻そうとするが、連れ戻せず、国産みは未完成のまま終わってしまう。

イザナギは、黄泉の国の穢れを落とすため、禊を行い、左目を洗った時に天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗った時に月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に須佐之男命(スサノオノミコト)を産む。その後、最初に生んだ淡路島の幽宮で過ごした。これら三神は、三貴子と呼ばれ、神々の中で重要な位置をしめるのだが、月読命に関しては、その誕生後の記述が一切ない。スサノオノミコトは乱暴者なため、姉の天照大御神に反逆を疑われる。そこで、天照大御神とスサノオノミコトは心の潔白を調べる誓約を行う。その結果、スサノオノミコトは潔白を証明するが、調子に乗って狼藉を働いてしまう。我慢の限度を越えた天照大御神は、天岩屋戸に閉じこもるが、集まった諸神の知恵で引き出すことに成功する。

一方スサノオノミコトは神々の審判を受けて高天原を追放され、葦原中津国の出雲国に下る。ここまでは乱暴なだけだったスサノオノミコトの様相は変化し、英雄的なものとなって有名なヤマタノオロチ退治を行なう。次に、スサノオノミコトの子孫である大国主神が登場する。大国主の稲羽の素兎(因幡の白兎)や求婚と受難の話が続き(大国主の神話)、スクナヒコナと供に国作りを進めたことが記される。国土が整うと国譲りの神話に移る。天照大御神は、葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主と子供の事代主神はそれを受諾する。しかし、子の建御名方神は、始めは承諾せず抵抗するが、後に受諾する。葦原中津国の統治権を得ると高天原の神々は天孫ニニギを日向の高千穂に降臨させる。次にニニギの子供の山幸彦と海幸彦の説話となり、浦島太郎の説話のルーツとも言われる、海神の宮殿の訪問や異族の服属の由来などが語られる。山幸彦は海神の娘と結婚し、彼の孫の神武天皇が誕生することをもって、上巻は終わる。

上巻に出てくる主な神々
別天(ことあま)つ神五柱(いつはしら)独神(ひとりがみ)
天之御中主神(あめのみなかぬし)独神、天原の中心の神
高御産巣日神(たかむすび)独神、生成力の神格化
神産巣日神(かみむすび)独神、生成力の神格化
宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢ)独神
天之常立神(あめのとこたち)独神
神世七代(かみよななよ)
国之常立神(くにのとこたち)独神、国土の根源神
豐雲野神(とよくもの)独神、
宇比地邇神(うひぢに)と妹須比智邇神(すひぢに)
角杙神(つのぐひ)と妹活杙神(いくぐひ)
意富斗能地神(おほとのぢ)と妹大斗乃辨神(おほとのべ)
於母蛇流神(おもだる)と妹阿夜詞志古泥神(あやかしこね)
伊邪那岐神と伊邪那美神男女の神、夫婦
三貴子(みはしらのうずのみこ)
天照大御神イザナギが左の目を洗ったとき生まれた。
月読命(つくよみのみこと)イザナギが右の目を洗ったとき生まれた。
須佐之男命イザナギが鼻を洗ったとき生まれた。
天之忍穂耳命
大国主神
邇邇芸命
火遠理命
鵜葺草葺不合命

中巻(なかつまき)
初代神武天皇から15代応神天皇までを記す。神武東征に始まり、ヤマトタケルや神功皇后の話など神話的な説話が多く、神の世と人の世の間の時代であることを示している。2代から9代までは欠史八代と呼ばれ、系譜などの記述にとどまり、説話などは記載されていない。そのため、この八代は後世に追加された架空の存在であると説かれているが、実在説も存在する。なお、「神武天皇」といった各天皇の漢風諡号は、『古事記』編纂の時点では定められていないため、国風諡号のみで記されている。なお史実性が確認されているのは応神天皇以降である。神功皇后と卑弥呼を同一視ないし関連づける説もあるが、一般に受け入れられるには到っていない。

2009年01月24日

生徒間の性的いじめ

サイコロ セリクー クイズ ビアンコ ナビ淡竹 チャーイ バッスル グリーン ナルコ スランプ カナメモチ しおで 満月アナタ ジバン フィーバ ジーメン コシア 虹の橋 透明人間 アスキー プラスタ パイプオ ゲスケル 鯉のぼり ガラシ シーリング スイート ハネムーン 北の旅人 ワイファイ スキッド ビンゲン ション マサキ トンキロ レシー サヘル スリット レッシブ ナイス ブローチ フレー リスト ナビメリノ ジャズ フェンス りっさ サード だむら ターゲット

現在の日本の教育現場においては、通常のいじめと違い、性的ないじめはタブーとされる[要出典]。性的いじめが話題にのぼることはまずなく、きちんとした研究も存在しないといってよい。「性的いじめ」はいじめというよりも、明らかに性犯罪なのであるが、加害者の将来を守るために「いじめ」として処理されることが多い。

かつて、教師や父親による性犯罪が「そんなことはありえない」こととされていたように、現在では児童生徒同士の性的いじめ・性犯罪に対して「そんなことはありえない」という認識を持つ人が多いが、実際は多く存在する。かつての神話は「男の気を引く身なりをした女性が刺激された男性にレイプされる」といった類のものだった。現代における神話は「性的虐待の加害者は成人である」というものであろう。この神話は現代においても解消されていない。

2006年に起きた尼崎児童暴行事件では、小学生の女子児童が同級生から性的暴行を受けた。しかしこの事件もこういった事件に伴う特異性からほとんど報道されず、隠蔽される傾向が強い。報道されることによるメディアスクラムの問題はあるものも、結果としては加害者を守り、被害者を泣き寝入りさせざるをえない状況へと追い込んでいる。この尼崎児童暴行事件については婦女暴行にまでエスカレートしたために一部で報道されたが、その前段階の性的いじめが報道されることは他のいじめ同様に皆無である。また、性的いじめはそれ以外のいじめ以上に隠蔽されやすい。

また、長崎で起きた事件では、男子児童が、同級生の前で下半身を露出させられ自殺した。加害少年は逮捕されたが、少年院には送られなかった。学校外であれば性犯罪や強要罪、暴行罪として刑事事件になるにもかかわらず、学校内で起きたというだけで、いじめとして扱われ、治外法権のような扱いになるのは理不尽であるとの指摘がある。

学校における性暴力の調査結果
アメリカでは学校におけるセクハラがどの程度行われているかの調査結果がある。

American Association of University Women(AAUW 2002)の調査報告:8年生から11年生の2064人に対する調査を行ったが78%の女子、83%の男子が被害に遭っていた。また、38%の生徒が教員や職員にセクハラを行われており、また逆に36%の教員や職員が生徒に被害を受けていた。教師・職員同士であっても42%が受けていたという。

性的いじめの実態

様々な事件
かつて小学校で、同級生に胸を触られていた女子児童が自殺するという非常に痛ましい事件も起こっている。また、中学校で同級生から繰り返し性的暴力を受け、強姦にまで発展した事件(旭川女子中学生集団暴行事件)があったが、それも最初はスカートめくりなどのいじめから始まったという。(被害者側一審勝訴)

男子が被害に遭う事も多い。1984年には大阪府で二人の男の子が人前でマスターベーションをやらされるといういじめを受け、いじめた相手を殺害する大阪産業大学付属高校同級生殺害事件も起こった。2006年10月11日には筑前町立三輪中学校でトイレでズボンをずり下ろされた少年が自殺した。2006年11月14日には今度は神林村立平林中学校で少女達の前でズボンを脱がされた少年が首吊り自殺した(この事件はいじめとして認定されなかった)。

解離性同一性障害で知られるビリー・ミリガンは女子にズボンを脱がされ自殺しようとし、レイゲンが彼を止めたという話もある(彼の場合、家庭内でも義理の父による性的虐待があった)。

男女が学校で別々のクラスで学んでいた時代から性的いじめは存在していたとも言われる。現在でも男子校での男性間での性的いじめは発生している。しかし今日の男女が同じクラスで学ぶ時代では、性的いじめを受けている姿を異性に見られる、また男子児童が女子児童に対し性的いじめを加える(あるいはその逆)といった事が起こるので男女別学の時代より問題はより深刻であるといえる。また、昔の性的いじめはお互いにやりあうものだったようだが、現代の性的いじめは特定の子だけが対象にされる。

性的いじめの加害者
アメリカの医師であるローレンス・カンターは(程度の重くない)性的いじめ等に対して「この種の行動は完全に正常(だが、社会的に不適切だ)」と述べている[1]。一方、正常ではないという意見もあり、ロバート・K・レスラーは若年層の小児性犯罪のケースで倫理観が欠如しているケースが多いという事を述べている[2]。

ただ、いずれにせよ加害者が成人後特に性的に加虐傾向を持つということは少なく、性的に歪むことなく普通の家庭を営める場合が多いと思われている。しかしもし仮に性的いじめが加害者の性的歪みによるものでなく、発達には何の異常もなかったとしても、被害者にとってはその後の人生に深刻なダメージを与える。

被害者の精神的影響
いじめで自殺する人は多くの場合、性的ないじめを受けていて誰にも言えない(加害者・傍観者も語らない)とも言われる。自殺までいかなくてもリストカットをする女性の一定数が児童期に性的いじめを受けているという説もある。

また、裸にされる・胸や性器を触られるといった激しい性的いじめ(性犯罪)の被害者となった者の一部にはその後、性的トラブルを引き起こしたり、性産業に従事するという者もいる。これは吉田タカコ著の『子どもと性被害』の中に書かれているような「幼い頃に受けた被害は、抵抗しても無駄だったのだ」ということを確かめようとする作業であり、誤った方法ではあるが自己の尊厳を守ろうとする行動であるともいえる。実際アメリカの「全国暴行防止センター」が、ある病院で調査をおこなったところ、精神衛生上の治療を受けている性産業従事者(いわゆる売春婦など)の多くが児童期などに性的いじめおよび性的虐待を経験していたという。

法・社会的な問題点
加害者が成人である場合、裁判などなんらかの方法で社会的制裁を加える事が可能であるが、性的いじめは未成年である児童生徒(時には刑法上罪に問えない13歳未満の児童が加害者になることも多い)が加害者のため、十分な被害者救済がはかれないため、実質上泣き寝入りせざるをえない場合も多い。成人が加害者である性的虐待も決して顕在化しているとは言いがたいが、性的いじめは成人が加害者である性的虐待以上に顕在化しにくいのである。

実は、性的いじめに関する取り組みの遅さには背景がある。もともと性暴力および性的虐待からの回復の取り組みはフェミニズムの影響を受けて始まった。つまり、加害者は強者である成人男性で、被害者は弱者である女子なのだという考え方である。このフェミニズム的な考え方からすれば、女性と同じように成人男性に抑圧・搾取されているはずの児童が加害者となってはまずいことになる。よって性的いじめに関してはどの国でもその取り組みが遅い。

テレビ番組の影響
2007年に岐阜県の中学校で、女子児童が同級生の女子児童の服を脱がせるというイジメが発覚し報道された。加害者児童は「笑えるからやった」「面白いからやった」「芸人の真似をした」といった供述をしている。

性的いじめの事例
掲載情報に関する注意:ウィキペディアは百科事典であり、以下の記述は性的いじめを奨励するものではありません。真似をしないようお願いします。

いじめ・セクシャルハラスメント
トイレに行かせない。
体の成長が早い子をからかう。(その逆もある)
男子を無理やりに女子トイレに入れようとする。(またはその逆)
女子が、男子の股間を蹴る。

学校内の性犯罪
スカートめくり
教室の中で強制的に服を脱がされる(ズボン下ろし)
女子のスカートをめくりあげ頭上で結び、下着を露出させる(「茶巾」)
スカートを脱がせて隠す。
女子児童のトイレを覗く。[3]
男子児童のトイレを覗く。
下着を脱がされ、異性の目にさらされる(男女「解剖」男子「チンケン」)
教室でクラスメイトが見てる前で性器や胸、体を触られる。(女子→男子へ行うこともある)
陰部を触られる(逆に無理やり触らせる場合もある)。
陰部や肛門を電気掃除機で吸わされる。男女とも。
小学校で女子児童の下着を大勢で引っ張ったり(いわゆるブラパッチン)、大勢で突いたりする。[4]
強制的に自慰をやらされる。
女子トイレに男子が進んで入り、用を足す。
自分の性被害を逆に中傷される。
運動部で、試合に負けた責任をとらせて下級生を裸にさせて土下座させる。
水泳の着替えの時、全裸で更衣室から追い出される。
着替えの時、服や下着を更衣室から外に捨てられる。
女子の前でペニスをいじられ、勃起させられる。

教師による性暴力
日本において教師の学生に対する性暴力もおこると考えられている。だが、「証拠がないとなんともいえない」「生徒の話を全面的に信用するわけにはいかない」「その生徒を直接尋問したい」「その女生徒が誘ったのではないか」「男性教員の車に乗りたがるなんて思慮が足りない」など[5]、学校側がこういった話をまともに取り扱わない傾向も強い。ただ、近年は各校防止に努力している。

教師は、教師という信用のある役職に就いている。このため、知的成長及び私生活の間の境界は、曇らされた状態になるかもしれない。この状況において、いくらかの人間は、教育領域から個人的領域まで性的関係へ容易に動く。学生を虐待する教師は、結婚のトラブル、離婚、金融難、精神医学的問題、配偶者または子供の死のような様々な個人的問題、または、心的外傷からストレスを経験しているかもしれない。その行動が、そのようなストレスの効果の徴候であり得るなら、状況が変わるならば止まるかもしれない。

その一方で、未成年児童に対する性犯罪で、教師が加害者になるケースは比較的少ないといえる。(判明している数ではあるが)警察庁の資料によると、小学生・中学生に対する性犯罪加害者(連れ去り未遂など含む)の職業の一位は無職であり二位は学生・生徒である。しかし、マスコミなどで過剰に取り上げられる傾向があるため、件数自体が多いかのような認識が一般に広まっている。これは一種のタブー意識との問題ともかかわってくる。

なお、アメリカでは特に近年十年間の学生及び教師の間の本当に合意の上の性交渉を犯罪とみなすべきかどうか論争があった。多くの専門家の主張によれば、「双方の合意」があるにせよ、最も一般に表明された教師と生徒の関係は、セクハラ・性的虐待とみなされる。そこに力の差は存在するため、厳密な意味で「双方の合意」があるとみなすことができない可能性がある。教師は、学生に一種の神聖な信用を持つ。

2009年01月17日

サブマリナー(ネイモア・ザ・サブマリナー、Namor the Sub-Mariner)

サブマリナー(ネイモア・ザ・サブマリナー、Namor the Sub-Mariner)は、マーベル・コミックのスーパーヒーローで、最古参のヒーローのひとり。

初登場は1939年の『マーベル・コミックス』誌1号(Marvel Comics #1)。この時の作者はビル・エヴェレット(Bill Everett)。

ネイモア(Namor)は、水棲人類ハイドロ・ホモ・サピエンス(ホモ・マーマヌス)の王国、アトランティスの王子である。母親はアトランティスの王族で、父親はアメリカで砕氷船の船長だった。

プライドが高いのが欠点だが、勇猛で誇り高き戦士である。
バット ジュズダマ はないかり マグカップ しょうぶ ブロックバス ゲンスト マジカ カムアウ 国内山芋 スケーラ ゼロサム テナン ヨルムン こだま NEW世界 スカト オポッ フォーク シャンプー カヤック ネイチャー バイト ゲンタマ クヌギ リドール マット キャンバ ランド スリッパ てのひら ムーラン ヌバック リップミル ハーケン 高原の月 きつきみ ブイアイピ リトアニ キニン 笠だけ レサー モント サンザシ あかさ スダイヤ いたけ ツーピース ワカ フィリピン

基本的には七つの海とアトランティスを守るために戦い、海面以上の世界にはそれほど関心がなかった。しかし、アヴェンジャーズやファンタスティック・フォーといった地上界のスーパーヒーローたちとの出会いにより、彼らの友人としてさまざまな脅威と戦っている。

ピンクがかった白い肌。(純血のアトランティス人は青もしくは水色の肌をしている。)
とがった耳、細い眉、つり上がり気味で切れ長の青灰色の眼。
髪は黒。
両足首の上に小さな「羽根」がある。これは飛行時の姿勢制御に利用していると思われる。
基本的に、上半身裸で、緑色で魚燐柄の海水パンツと白い貝殻型のバックルのついた金色のベルトというスタイル。
黄金色のブレスレット、もしくはガントレットを装着している。
トライデント(三叉槍)を携行する場合もある。

能力
海中を時速80kmで泳ぐ
陸上で100トンの重さを持ち上げる膂力
水中でも、空気中でも呼吸できる特殊な肺
飛行能力
電撃(ちょうどデンキウナギのような能力で、一度放電するとしばらく充電期間が必要になる。)
イルカやシャチ、サメなどとある程度の会話(意思疎通)が可能である

ゴールデン・エイジ
サブマリナーは、海を汚染する陸上人類に敵対する海の超人として、アメコミ最初期のアンチヒーローとして登場したが、第二次世界大戦の勃発に伴い、キャプテン・アメリカとオリジナル・ヒューマン・トーチともにナチス・ドイツや大日本帝国と戦うようになる。

しかし第二次世界大戦の終結とゴールデン・エイジの終焉とともに人気が低迷しはじめ、やがてその姿を消すことになる。

シルバー・エイジ
「ファンタスティック・フォー」誌4号(Fantastic Four #4、1962年5月)で、サブマリナーは、ファンタスティック・フォーのヒューマン・トーチによってマンハッタンで記憶喪失のホームレスとなってるところを発見される。

その後、記憶を取り戻した彼は、アトランティスに帰還。不在の間に簒奪された王位を奪還し、マーベル・ワールドへの帰還を果たす。

また、その当時独身だったファンタスティック・フォーの紅一点、インヴィジブル・ガール(現在はミスター・ファンタスティックと結婚。インヴィジブル・ウーマンと改名。)に懸想して略奪婚しようとしたり、プライドの高さや海を汚す陸上人類への憤りを利用されて、アヴェンジャーズやX-メンと戦ったりもした。

交友関係
キャプテン・アメリカ
第二次世界大戦当時、オリジナル・ヒューマントーチ、サブマリナー、キャプテン・アメリカの3人は、「インヴェイダーズ」というチームを組み、ナチスや大日本帝国と戦っていた。第二次大戦終了直前の事故により、行方不明になっていたキャプテン・アメリカを(氷漬けの仮死状態ではあったが)北極海で発見し、アベンジャーズに回収させたのもサブマリナーの功績である。
ファンタスティック・フォー
スーザンに横恋慕してリードと対立するが、やがて和解。互いに尊敬し合う間柄になる。
ディフェンダーズ
世界最高の魔術師であるドクター・ストレンジが、超自然的な脅威からこの次元を守るために結成した(というか、必要に応じて相手の都合に斟酌せずいきなり自分のところに召還する)ヒーロー・チーム。メンバーはドクター・ストレンジの他に、サブマリナー、ハルク、シルバーサーファー。サブメンバーとして、ヘルキャット、バルキリー、ナイトホークなどがいる。
ネイモリータ
ヒーローチーム「ニューウォリアーズ」の一員。アトランティス人の女性。青い肌のスーパーヒロイン。
イルミネイティ
「Kree-Skrull War」を切っ掛けに結成された、様々な立場のヒーローや勢力のリーダー達による、コミュニティ。ネイモアの他に、インヒューマンズのリーダーブラックボルト、X-MENのプロフェッサーX、Dr.ストレンジ、アイアンマン、Mr.ファンタスティックらがメンバーとなっている。